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小説・アニメ・コミック・ゲーム等、様々な創作媒体についての感想やら何やら、あるいは、永遠に敗北者な日常と思考
No.
2024/05/02 (Thu) 22:27:18

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No.50
2009/09/23 (Wed) 15:06:31

 いつだったか、シャワーヘッドが壊れて、騙し騙し使っていると書いたけれど、さすがに騙せなくなってしまった。網目部分とヘッドが、ネジで固定されていたのだが、留める側のプラスチック部分が欠けてしまい、ネジの機能を有しなくなった。そのため、プラスチック部分を接着剤でくっつけて、どうにか元通りにして使っていた次第。このときの日記は、シャワーヘッドが壊れたので、接着剤を買いに行ってみたら、種類が多くて驚いた、となんの説明もなく書いている(当時はおそらく、シャワーノズルと書いた)。どれくらい遅れたのかは忘れたけれど、ようやくここで伏線の回収。
 さすがに修復は無理なので、シャワーヘッドを買ってくるしかないだろう。現在は、ヘッドだけが外されているため、水道からホースを繋いだような状態。ホースが1本あれば、溜まっている水を別の場所に移すことができる、という方法を小学生のころに知り、風呂桶に溜めた水をホースで外に出したことがあった。おお、すごいな、と驚いたものの、それが何かの役に立つとも思えなかったので、それだけの話だった。ところが、数年経って、歌野晶午氏や森博嗣氏の著作で、この原理が効果的なトリックとして使われており、作家の発想というのは、やはりすごいものだな、と感心した覚えがある。
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No.46
2009/09/19 (Sat) 19:56:54

 夢や希望といった前向きな目標を持ったことはほとんどなく、小学生の僕は、60歳までに死にたいと考えていた。これは、実に失礼なことなのだけれど、60歳を過ぎたら、自分を保てない、トイレへ行くのにも人の手を借りなければならず、粗相した衣服を洗ってもらわなければいけない。とてもではないけれど、そんな醜態を晒してまで、生きていたくない、60歳までにはなんとかして死のう、10歳そこそこの僕は、そのように思い込んでいた。
 まあ、小学生は馬鹿である。大して頭の良くない僕が小学生だったのだから、実に見当違いな考えだったと数年後に解る。60歳は長過ぎる、その半分で充分だ。僕が、20代の総決算がどうのこうのと執着している訳は、単に区切りが良いからではなく、30歳を過ぎてまで、生きていくことはないのでは、と少なからず思っているからだ。これは当然、僕自身のこれまでを振り返って考えたことなので、他の人には当てはまらない。どのように取られるかは、個々の自由である。
 僕の場合、これまでの人生はずっと、繰り返しの連続だった。暮らす場所が変わっても、接する人が変わっても、生活する環境が変わっても、これまでと同じような人たちがいて、これまでと同じような出来事が起こる。役者を代えた同じ劇を、何度も見ているような、あるいは演じているような。今後も役者が変わるだけで、同じことが繰り返されるだろう。
 この状況を打破するのは簡単である。僕が、嫌なことを嫌だと言わなければいい。それだけ。16歳のとき、僕はいじめられていたけれど、嫌なことは嫌だと言っていたし、やりたくないことは絶対にやらなかった。小心者なのに、頑ななのである。こういう言い方は恥ずかしいのだが、僕が一番強かったのは、いじめられていた16歳のころで、歳を取るに従って弱くなってきている。「俺は負けやしない」と「自分が正しいと信じることを成せ」を座右の銘にして、あのころはひとりでもなんとかやってきたというのに。いつの間に、こんなに弱くなったのか。他人と仲良くなってしまうと、弱くなるところは確かにある。しかし今更、当時の強さは取り戻せない。
 これまでと生き方を変えれば、今後も生きていけるはずである。変えるのであれば、中途半端にではなく、がらりと変える。他人に阿ようが、遜ろうが、みっともないと思わず、気に掛けないようにする。つまり、僕が16歳当時に、なりたくないと思っていた人間になってしまえば、少なくとも、繰り返しからは抜け出せるはずである。
 ──とはいえ。これらを実行するのは、本当に切羽詰まった状態になってから。今はまだ、20代のうちは、僕は僕の好き勝手にやらせてもらおう。とりあえず、このような方法もあるな、と考えただけで、本当に実行するかどうかは決まっていない。
No.45
2009/09/18 (Fri) 19:57:23

 どうにか次の仕事が決まりました。3年前は、採用された書店が2件あり、給料の高い方を選んでしまったのですが、今回は、そのようなことはしません。週に4日働いて、残りはすべて、小説を書く時間に充てるつもりです。お金より時間を優先したので、家賃諸々と最低限の食費が賄えれば構いません。中村文則氏を真似てどうなるものではありませんが、自分がやりたいと思ったことは、試してみないと気が済まないのです。
 非常に大雑把な計算で、1日5枚しか書けなくても、400日続ければ、2000枚。現時点で1100枚ほど書き終わっているので、合計約3000枚。ぎりぎりですが、どうにか20代の最終日には間に合います。とにかく、書き上げないことには、先へ進めないのです。

 分水嶺の2009年1月19日に、僕は百貨店内書店を辞めています。失業保険の手続きはしたものの、仕事は探しませんでした。毎日、一日中執筆を続け、数カ月でささっと書き上げてしまおう、そのあとで、きちんとした仕事を探そう、と考えたのです。けれど、そう上手くは行きません。集中力が続かず、何度も中断してしまいます。それでも、書くために仕事をしていないのだから、どうしても書かなければいけない、と思い込み、それが悪循環になりました。ゲームはまったくやらず、読書の数をかなり減らし、食事の時間に、録り溜めた番組を少しずつ見るのだけが、数少ない楽しみでした。
 当然のことながら、働いていないので、給料は入ってきません。小説やコミック、CDにゲームと、欲しいものはあっても、買うことはできません。それでも家賃は払わなければいけないので、これまで貯めたお金は減る一方です。尽きるまでに書き終えれば問題ない、構わない、と思いつつも、本当に終わるのかが心配になってきました。また、僕は仕様もないことで落ち込むことがあり、22枚という1日での最高枚数が書けた日もあれば、ぐったりして何も書かない日が続く、ということもありました。
 がーっと書いてささっと書き終える、という当初の意気込みはどこかへ消えてしまい、それならいっそ、1日ずっとゲームをするとか、積読本を一気に読んでしまうとか、そのようなこともできたのですが、遊ぶために仕事辞めた訳ではないのだ、と何度も思い直し、投げ出すことはできなかったのです。賞を取るための小説ではなく、僕が前に進むための小説なので、この時期に書いておかないと、おそらく、もう二度と書けません。
 とはいうものの、好きなこともできず、書き上がるかどうかも解らない小説を書くのは、精神的にしんどくなってきました。書ける日にがーっと書いても、落ち込んで数日書かなければ、トータルでは、仕事をしながら毎日少しずつ書いていくのと大差ありません。何より、貯金が少しずつ減っていくという状況が、ひどくつらい。いったい何をしているのだろう、と考える毎日だったのです。
 しかし、この作品は何枚になろうと書き上げたい。それなら、仕事をやりながら書こう。少なくとも、生活費についての心配はなくなる。また、読書やゲームの時間も、適度に取っておく。執筆を優先するけれど、執筆だけの生活はしない。それでとにかくあと1年。20代のうちは、自分が思っているように生きておこう。という結論に、ようやく行き着いたのです。まあ、執筆ペースが遅いというのが、一番の問題のような気もしますが。
No.43
2009/09/16 (Wed) 18:59:39

 『空の境界 未来福音』を購入。コミケで売っていたものを同人ショップで売っているらしいとは知っていたものの、アニメイトで販売されるとは。そういえば、『Fate/Zero』も難波まで買いにいったのちに、アニメイトで見つけた。アニメ・コミックの専門店には売れる同人誌は置いてあるようだから、同人から一般という流れは、以前ほどに遠くない。などともっともらしく書いているけれど、コミケという名前を知っているだけで、参加したことはなく、実際が、どのようなものかは知らない。名前だけは知っているものの、何をしているのか良く解らない政治家はたくさんいる。
No.41
2009/09/14 (Mon) 00:05:59

 これまでは零時以降に更新ということが多かったのですが、今後は、それより早くなるかと思います。時計を見て、5時間進んでいると考えるか、7時間遅れていると考えるか程度の違いです。まあ、零時ぴたりに書いた日記は、明らかに当日の出来事ではなく、日付よりは前の話になりますので、紛らわしさを増やさないように、ということもあります。僕は、学生のときも、働いているときも、講義や仕事のあるなしに拘わらず、起きる時間は一定で、休みの日だから遅くまで寝ていよう、ということができないのです。今後は、寝る時間が早くなるため、更新時間もそれに伴って早くなります。
 新パソコンに替えたとき、今後は、更新頻度が落ちるかと思われます、と書いたのですが、まったく変わっていないようです。僕としては、毎日見にきてくださる方がいるので、毎日更新しているのですが、これは反対で、僕が毎日更新するので、毎日見にきてくださるのかもしれません。タマゴが先か、ニワトリが先か、のような状況です(生物学的には、タマゴが先ですが)。
 いずれにしても、このような日記のようなもの、最新の情報を遅れて公開するような記事を、読んでくださっている方たちには、ありがとうございます。20代の終わりまでは続けるつもりです。
No.39
2009/09/12 (Sat) 00:02:29

 矢野龍王氏の『極限推理コロシアム』(文庫版)を購入。僕の場合、この作家のこの本だけを買おう、ということはまずないので、必然的に、以降の著作(あるいは既刊)も買うことになる。
 パタンとして多いのが、まず図書館で借りて読み、これは買っても良いな、と思った作品は購入する。そのとき、元本で買うのか、文庫で買うのか検討するのだが、これは、既刊がどれだけ出ているかに左右される。例えば、島田荘司氏の作品は、講談社ノベルスで集めたかったのだけれど、当時からかなりの巻数が発売されていて、中学生だった僕には、値段の安い文庫版(それでも厚いものはかなり高い)を、少しずつ買っていくしかなかった。
 矢野氏のペースは年1冊なので、先に講談社ノベルスの作品をすべて読んでおき、再度、文庫で読むという、島田荘司氏や西澤保彦氏の著作では止めたパタンになるだろう。「クローズド・サークル」の次に好きな設定は、「サバイバル・サスペンス」になりつつあるかもしれない。「コン・ゲーム」要素が混ざっていれば、なお良し。
No.37
2009/09/10 (Thu) 00:01:02

 先週と今週は、手当たり次第アルバイトに応募して面接を受けて来た。ミジンコはミジンコなりに安定しないと、何をするにしてもつらい。そもそも、次の行き先が決まらないと、落ち着いて近況報告すらできない。
No.35
2009/09/08 (Tue) 00:01:08

 ドラマのあとに表記される、「この番組はフィクションです」という一文が、小さいころは気になっていたけれど、最近では、通販番組での、「個人の感想です」「感想には個人差があります」や、バラエティなどで、今まさに喋っていることを字幕で表すことなどを、妙に感じている(トーク番組で、笑いどころを表示させるのには幻滅)。ドラマを見たあとで、この番組はドラマですとか、使用者に感想を訊いておきながら、個人の感想ですとか、いったい何を補足しているのか(実際は、のちに起こるクレームに対しての予防策でしょうが)。

「ええ、これを食べるようになってから、健康そのものです。長生きしそうですよ」
 *故人の感想です*
 ──って、怖過ぎるだろ。

「本日のニュースを終わります。では、また明日」
 *この番組はフィクションです*
 ──って、嫌過ぎるだろ。
No.33
2009/09/06 (Sun) 00:01:56

 「作家の読書道」にて北山猛邦氏のインタビューを読み、北山氏が大阪の大学に通っていたことを知る。岩手の大学を卒業したものとばかり思っていたが、卒業して、盛岡に戻ったらしい(現在は東京)。関西出身のミステリ作家が必ずしも推理小説研究会に所属しているとは思わないけれど(実際、西尾維新氏は所属していない)、新本格作家には、そのようなイメージを持ってしまう。ううむ、それにしても大阪だったとは。あ、ペンギンシリーズ最新刊は買いましたよ。片山若子氏のイラストが、いつもながら似合い過ぎ。
No.31
2009/09/04 (Fri) 00:04:05

 「青春リアル」の放送予定、「”夢”の捨て方、教えて下さい」「父からのプレゼント、もらうべきですか?」「金のない男に、結婚する資格はありますか?」というトピックを見て呆然とした。「二百三高地」の主題歌ですか。こんなにへたれた番組だったかな。1期のころは、疑問符が付いていても、それは提言だったり、苦言だったり、自分はこういう意見を持っていて、このような働きをしているけれど、それに対してどう思いますか、というトピックがほとんどだった。今期のメンバって、他人の意見を聞きたがり、追従するような方ばかりなのだろうか。それがこの国のコンフォミティと言われればそれまでなのだけど、せっかくテレビを見るのだから、みんなと一緒の方たちばかりを集めなくても。トピックが違っても、行き着く先は同じような気がする。
 例えば、僕に対して、生きるのがつらい、死にたい、と相談する方がいたとしたら、じゃあ、一緒に死ぬ方法を考えましょう、となります。しかし、僕に対して、生きるのがつらいけれど、どうしても生きたい、と相談する方がいたとしたら、じゃあ、一緒に生きる方法を考えましょう、となります。これはあくまで譬えです。僕は、他人の人生に関わりたくありません。
No.29
2009/09/02 (Wed) 00:05:00

 これまでの例でお解りでしょうが、これは面白いと思った作品の感想は、著しく長くなることがあります。かといって、感想の短い作品が、つまらなかったということではないのです。つまらなかった作品は、感想自体を書きません。人間に適用できれば、すごく楽だよね。昔話のころから現代までずっと、動物と話せる道具は取り沙汰されているけれど、自分が飼っているペットと話せるようになったとしたら、ペットを捨てる人が大勢出るような気がするのですよ。徳川綱吉の出した御触れみたいに。環境問題が、これとは逆の、プロパガンダのようですが。まあ、気をつけるに越したことはない、という話ですね。
 また、日記にしても感想にしても、1記事1テーマを基本としていたのですが、感想に別作品を挙げてみたり、作品とは直接関係のない思考を書いたり、当初の枠組みを崩すことが増えてきましたが、これは意図的です。理由がない訳ではないので、そのうち、日記の取扱説明書のような記事に、纏めて書くと思います。
No.26
2009/08/30 (Sun) 00:09:02

 休職中が求職中に変わりましたが、求めているのは職ではなく食に変わるものなので、求食中と言い換えた方が相応しいかもしれません。大学在学中、卒業後の就職活動は、ある程度のお金を優先していましたが、今はやりたいことがあるので、お金より時間の都合が付くところを優先しています。正社員、非正社員には拘りません。20代の総決算や、30を過ぎても生きていくのか、という内容に繋がるので、こちらの件は、別の機会に書きます。
 早速、何件か応募の電話を掛けて気づいたのですが、僕の部屋からでは、携帯電話がひどく使いにくいのです。駅がすぐ近くにあり、それにはとても助かっているものの、電車が通るたびに、携帯電話の電源が切れたり、電波が届きにくかったり、とてもではないけれど、まともに話せないのです。この前、地震が起きた日に実家へ電話を掛けましたが、そのときは、電車が行き交うような時間帯ではなかったので、普通に話せたようでした。
 はっきり言って、僕の携帯電話は、目覚まし時計になっています。携帯電話機能付き目覚まし時計なのです。使うのは、予定表と計算機の機能くらい。メールや電話をするよりも、会って話す方が早いと考えるので、学生時代も、働いていたときも、ほぼ毎日顔を合わす人に用事がある場合は、会ったときに話していましたし、それで支障はなかったのです。学生時代、大教室の最前列と最後列で、お前どこだよ、後ろだよ後ろ、と携帯電話でやり取りしていた方たちには、呆然としましたが。会う日数が減った方の場合、用事があれば連絡をしますが、なければ連絡はしません。僕の場合、年数は気にしないので、最後に会ってから4年やら5年経って、この件をあの人に訊いてみたいな、などと思って突然に電話をすることはあります。
 しかしそれでも、電話を掛けなければいけないときというのはあって、そのときにどうしていたかというと、固定電話を使っていたのです。ところが、アパートの管理会社が変更となり、電話線が廃止されて、携帯電話も、固定電話も使えない、という状況に陥ってしまいました。ハローワークの求人であれば、ハローワークから事業所へ連絡してもらえるようですが。
 面接して落とされるのならともかく、電波状況が悪くて、話が聞き取れずに落とされるというのは避けたい。担当者によっては、まったく今の子は、携帯電話で歩きながら掛けてきて、友達と話してるんじゃないんだよ、電話の掛け方も知らないのかしら、うちではちょっと遠慮したいわねえ、などと偏った勘違いをされる恐れがあります。僕は世間一般の若い人たちや、世間一般の若い人たちだと思われているイメージとは、おそらく違うのだろうけれど、若者みんな一括りにされる方は多いですからね。注意するに越したことはないでしょう。
 仕事探しの前に、近所の公衆電話、正確には電話ボックスを探します。コンビニに装備されなくなって久しいので、駅や公園の近くから。面倒なことに、公衆電話の位置というのは、公表されていないので、地図にも載っていないのです。
No.24
2009/08/28 (Fri) 00:10:33

 どうやら、「役不足」は「特別出演」のようなもので、「役者が不足」している場合は、「力不足」で正しいらしい。しかし、実際には気づいても指摘しないのが大人の対応というものなのだろう。間違えている意味で使っている人が増えると、そのうち辞書にも載り、いつの間にか正しい言葉になってしまう(偽金が、流通している貨幣よりも遥かに低い額で使えた時代もあった)。かつて勤めていた本屋に、「空残業」と「サービス残業」を間違えて使っている人がいて、さすがにそれは指摘しておきたかったのだけれど、僕には役者が不足していた。「友情出演」を頼める間柄ではないのだ。そもそも、版元の人でさえ、「出来」を「でき」と読んでいる。しかしこれは、書店員に「重版出来」と言っても通じる人が少なく、いちいち説明すると手間も掛かる。「なので」、説明の要らない「じゅうはんでき」を使うようになったのかもしれない。
 なんというか、せっかく日記タイトルを付けるようにしたのに、とんでもなくいい加減ですね。おそらく、近いうちにタイトルが重なります。「すいません」ではなく、「すみません」。などともっともらしく書いていますが、ひとつだけ、わざと間違えた用法で使っている言葉がありますので、鵜呑みにしないでください。
No.22
2009/08/26 (Wed) 00:16:42

「内緒と沈黙はどこが違う?」
 犀川は独り言をいう。
「内緒は、人間にしかできない」
(冷たい密室と博士たち/森博嗣)

 という文章を引用しようと思ったのですが、文庫版では、「独り言をいう」が、「独り言を呟く」に変わっているようです。僕が引用文を用いる場合、自分が読んだ版からの引用になるので、そのほとんとが元本となります。文庫本からの引用は、元本を図書館で借りず、文庫のみを集めている作家、というかなり少なく限定された数になっています。
 「自分が傷ついてるってことが、他人を傷つけることの理由づけになると思ったら大間違いだぞ」という科白が、太田忠司氏の『美奈の殺人』にあったのですが、文庫版では、「理由づけ」が「冤罪符」に変わっていて、ううむと唸った覚えがありますが。
No.20
2009/08/24 (Mon) 00:03:50

 「鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST」を、5週くらい、続けて録り逃し。いったいどこまで展開しているのか。日曜日の17時という時間帯がなんともかんとも。
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キタヤマ
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HN:
ミズサワ
性別:
男性
職業:
求職中
自己紹介:
初めまして。ミズサワです。あの「失われた」90年代に、10代の総てを消費しました。

ミジンコライフ継続中。

ミズサワの3分1は「さだまさし氏の曲」で、3分の1は「御嶽山百草丸」で、残りの3分の1は「××××」で構成されています。

小説・コミック・アニメ・ゲーム・等、媒体に拘わらず、あらゆる物語を好みます。付き合いが長いのは「新本格」作品。卒業論文も「新本格」。論理性よりも、意外性を重視。

「すべての小説が館ミステリになればいい」

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