小説・アニメ・コミック・ゲーム等、様々な創作媒体についての感想やら何やら、あるいは、永遠に敗北者な日常と思考
No.10
2009/08/14 (Fri) 00:17:47
郵便屋さんのお仕事 第1話/姫百合の願事(2)
鈴が鳴った。
扉を開けて入ってきたのは、まだ小さな女の子。初等部の低学年くらいだろう。首からポシェットをぶら下げている。女の子は郵便局へ来たことがないのか、きょろきょろと周囲を見回していた。一人で来たようで、保護者や連れの姿はない。
「いらっしゃいませ」
いずみは女の子に笑顔を向ける。その声に驚いたのか、女の子は急に立ち止まってしまう。カウンター越しにおずおずといずみを見上げはするものの、女の子はそこから動こうとしなかった。
女の子がいつまでも佇んでいそうなのを見兼ねて、いずみは女の子の許に駆け寄った。しゃがみ込み、目線の高さを女の子に合わせる。そこでふと、妙な感覚に捉われる。初めて会ったはずなのに、どこかで見掛けたことがあるような。それとも、前に会ったことがあるのだろうか。
いや、郵便局へ来たことがあるのなら、覚えているはずだ。親子連れの客が来たとき、いずみは親だけでなく子供に対しても、きちんと顔を見て挨拶をするようにしている。毎日のお客はそれほど多くないし、子供連れで来る者の方が珍しい。少なくとも、全く思い出せないということはない。ならば、誰かと勘違いしているだけだろう。
「今日は、どんなご用かな。切手や葉書のお買い物?」
女の子の視線は、真っ直ぐいずみに向いている。
「えっと、お姉ちゃんは、いずみ。掛川いずみ」
いずみは自分を指で示し、唐突に自己紹介を始めた。
「……いずみ?」
女の子はいずみを見上げたまま繰り返した。
「そう、いずみ。あなたのお名前は?」
いずみを真似てか、女の子も自分の胸に手を当てる。
「……あ、朱里(あかり)。用宗(もちむね)……朱里。」
ゆっくりと口を開いて、女の子は答えた。その返答にいずみはにっこりと頷く。
「朱里ちゃん、今日はどんなご用で来たの」
もう一度、いずみは同じことを聞き返す。
「……手紙」
朱里と名乗った女の子は言う。
「手紙? お手紙、書いてきたの?」
朱里は左右に首を振った。
「手紙、書くの。お母さんに」
途切れ途切れに朱里は話す。
「お母さんに、お手紙書きたいの?」
うん、と朱里は大きく頷いた。書いた手紙を直接母親に渡すのではなく、郵送した形で母親に渡したいのだろう。手紙の書き方だけなら、学校の先生に訊けば、教えてくれるはずである。郵便局へ来たのは、手紙のことなら郵便局員の方が詳しいと考えたからだろうか。
「チーフ、あの」
といずみが声を掛けるのが解っていたかのように、チーフは口を開いた。
「いいわ、ここは私が見てるから。お客さんに手紙の書き方を教えてあげて」
「あ、はい。ありがとうございます」
そう言って、朱里に振り返る。
「じゃあ、お姉ちゃんと一緒にお手紙書こうね。こっちに、来てくれる」
いずみは朱里の手を取って、局員フロアの奥にある扉へと向かう。朱里を先に行かせ、いずみはチーフを振り返る。
「それじゃあ、チーフ。すみませんが、お願いします」
窓口に移動したチーフは、首を傾げてどこか上の空だった。
「あの子、どこかで……。それに、用宗って……」
「あの、チーフ?」
「……え、ああ、そうね。解ったわ」
いずみの再度の問い掛けで、ようやくチーフは返答した。
開け放した窓からは、蝉の声がひっきりなしに聞こえる。年代ものの扇風機が首を回す。畳敷きの部屋には、小綺麗に纏った調度品がいくらか並んでいた。局員室とは名ばかりで、食事や休憩のときに使われる部屋である。隅が小さな台所になっていて、簡単なものであれば調理もできる。
「ここにこうやって、相手の住所を書けば、郵便屋さん……お姉ちゃんたちが、この場所にお手紙を届けるの。左の下には、お手紙を書いた人の名前を書くの」
長方形の机に、いずみと朱里は隣り合って座っている。手紙を書くのは初めてだという朱里に、いずみが説明をしていた。
机の上には葉書や封筒に便箋、他には色鉛筆やサインペンなどの筆記用具が載っている。手紙を書くと言いながら、朱里は葉書も便箋も何も持ってきていなかった。これらの葉書や封筒は、今日は特別だよと言って、いずみが用意したものである。書き損じた場合のために、葉書や便箋は何枚か余分に置かれていた。
便箋にするか葉書にするかを訊ねたが、朱里は違いが解らないようだったので、いずみは葉書を使うことにした。朱里が書く手紙がそれほど長いものとは思わなかったからだ。それに便箋だと罫線に沿って書かなければならず、白紙の葉書であれば自由な大きさで好きなように書くことができる。
「えっと、ここに、宛先。朱里ちゃんがお母さんと一緒に住んでいる場所を書くんだけど、住所、どこか解る?」
いずみの説明を聞いてはいるようだが、朱里の表情は芳しくない。
「じゅうしょ……?」
朱里は、何を言われているのか理解していない様子である。
「ええとね」
いずみは葉書を一枚手にして、表に自分の住所と郵便番号を書いてみせる。朱里に解りやすいようにと、自分の名前まできちんと書き込んだ。
「これが、いずみの……住所?」
「うん、そうだよ」
呼び捨てにされているが、いずみは気に掛けることもない。
「こんなふうに、上に数字が書いてあって、真ん中にお母さんのお名前、横に書いてあるのが住所なんだけど。お母さんに届いたお手紙とか、見たことない?」
「あ……」
朱里はしばらく顔を傾けていたが、もう一度葉書をじっと見ると、ポシェットの中を探し始めた。朱里がいずみに差し出したのは、水に濡れたものを乾かしたのか、かなり変色した藁半紙だった。薄くなった文字が、かろうじて読み取れる。
どうやら学校行事の申込書らしい。朱里の住所と氏名が書かれており、保護者の欄には、用宗縁里(ゆかり)と記されている。縁里というのは、朱里の母親だろう。
「お母さんは、用宗縁里さん?」
「うん」
いずみが訊ねると、朱里は即答した。
「それじゃ、お手紙書こうか。好きなのを使って良いよ」
宛先が解ったので、いずみは手紙の文面を書くように、朱里を促す。
机上のサインペンや色鉛筆の中から、朱里は青色の鉛筆を手に取った。いずみは、朱里に渡された藁半紙の住所を別の紙に書き写そうとする。住所を訊かれてからの反応を見るに、朱里が自分の住所を空で覚えている可能性は薄い。ならば擦れた文字を写させるより、自分が大きな文字で書き写したものを手本にした方が、住所を書きやすいだろうと考えたのだ。
鉛筆を動かす音が途絶えたので、ふと隣を見ると、朱里の手が止まっている。
「朱里ちゃん、どうしたの?」
「解らない」
朱里は鉛筆を握り締めたまま、いずみを見る。
「どうやって書けばいい?」
「そうだね……」
少し考えてから、いずみは口にする。
「朱里ちゃんが、お母さんに伝えたいこと、伝えたいと思ったことを、そのまま書けばいいんだよ」
「思った、まま……?」
いずみの言葉を繰り返す。
「そう、難しく考える必要はないよ。普段話していることでも、話せないことでも、何でもいいの。朱里ちゃんが書いたお手紙は、世界でたったひとつだけの、お母さんへのお手紙なんだから」
朱里はしばらく何か思案しているように固まっていたが、やがて鉛筆を強く握って葉書に書き始めた。
「お母さんへ……どうも……おひさしぶり……」
「……って?」
お母さんにお久し振りって、それはいくらなんでも違うんじゃないのかなあ。といずみは思ったものの、朱里が楽しそうに書いているのを見て、口にはしなかった。何より大切なのは、相手のことを想って書くことなんだから。朱里ちゃんはお母さんへの手紙を懸命に書いている。心が十分籠もっている手紙に、文句をつける必要はない。
いずみは中断していた住所を写す作業に戻る。改めて住所を確認して、いずみはふと疑問に思った。この場所って。用宗縁里の住所であるタカベという地域は、南町の東の外れ、場所的にはむしろ東町の方に近い。子供の足でここまで来るのは、かなり大変だったのではないだろうか。
「朱里ちゃん、郵便局までは何できたの?」
「お母さんは……歩いて……きっと……わぁ、歩いてって、何。間違えたよお」
朱里が声を上げたので、いずみは慌てふためく。
「あ、ごめんね。急に声掛けて。その、失敗しちゃったなら、まだ葉書あるし、書き直す?」
いずみは、葉書を何枚か揃えて朱里に見せた。けれど朱里は、消せるから大丈夫と言って首を振り、そのまま書き続けた。
「お花……描いていい?」
藁半紙の住所を書き写し終えたところで、朱里が声を掛けてきた。
「お花?」
何を言っているのか、すぐに意味を把握することが出来ず、いずみは鸚鵡返しに聞き返してしまった。
「……うん。お母さんが好きなお花」
「そうだね、お母さん、きっと喜んでくれるよ」
うん、と言って朱里がそのまま絵を描こうとするので、いずみは慌てて止めた。
「待って、朱里ちゃん。お花の絵を描くなら、色を変えた方が綺麗だよ」
いずみは色鉛筆のケースを持って、朱里に差し出す。
「お母さんはどんなお花が好きなの?」
朱里は途惑いのような表情を浮かべたが、それはすぐに消え、朱色の鉛筆に手を伸ばした。朱里ちゃんの色だねといずみは言ったが、朱里には意味が通じなかったようだ。
「あと、これも」
そう言って緑色の鉛筆も手にして、朱里は花の絵を描き始めた。朱里の楽しそうな横顔を見て、いずみはとても綺麗な花なんだろうなと思う。それからしばらく朱里は作業に集中し、何度も見直しをして、鉛筆を手から離した。
「いずみ。できた」
「どれどれ」
いずみは、朱里の手許を覗き込む。朱色の花弁が大きな花だった。決して巧くはないが、朱里が懸命に描いたことが良く解る。
「うん、お母さんは、きっと喜んでくれるよ」
「……うん」
少し控えめな感じで、朱里は答えた。
「それじゃあ、次は住所だね」
いずみは葉書を裏返した。先程、花の絵を見たときに、文面が見えてしまったのは仕方がない。ただし、いずみが見たのは花の絵であり、文章は読まないように心掛けた。
住所と通信欄が、表側にある葉書きを配達するときも同様である。プライバシーに配慮して、個人情報保護のため、などといったことではなく、他人宛ての手紙は読んではいけないと、いずみが考えているからである。
葉書の隣に、自分が住所を移した紙を並べる。
「この番号は、ここ。この四角いところに書くの。あとは、私が書いた住所を移してくれれば、ちゃんとお家に届くから」
「……うん」
住所の紙と葉書を、朱里は何度も見較べた。
「ここ、知ってるよ」
当然のような朱里の答えにも、いずみはいちいち頷いている。
「そう、朱里ちゃんが住んでいるところだよ。この住所を覚えておけば、今度は一人でも、お母さんにお手紙出せるからね」
朱里にとっては難しい文字が多いのか、文面を書いていたときより、表情が険しくなっている。声を掛けて邪魔をするのも悪いと思い、いずみは立ち上がった。
部屋の隅に置いてある冷蔵庫から、冷やした麦茶を取り出す。ジュースの方がいいかなと思うものの、ここには備えがない。これで我慢してもらおう。コップを二つ用意して、麦茶を注ぐ。
いずみは両手にコップを持って戻ってきた。
「朱里ちゃん。はい、どうぞ」
右手に持っていたコップを朱里の傍らに置く。
「……うん」
出された麦茶を、朱里はすぐに飲み干した。
「そんなに喉渇いてたんだ。こっちも飲む?」
朱里が首を縦に振ったので、いずみは左手のコップを手渡す。
「住所は書けた?」
コップに口をつけた朱里の横に座り、いずみは書かれた住所を確かめる。文字は大きかったり小さかったりするものの、住所は間違っていない。とはいえ、この手紙は自分が配達するつもりなので、仮に間違っていたとしても、いずみが届ける場所を覚えてさえいれば問題はなかった。
「これでいい? 良ければ、今からお手紙を出しに行こうね。郵便局の前に、大きなポストがあったでしょ。あれに入れるの」
そんなことをせずとも、この葉書をいずみが受け取り、集配箱に入れてしまえばそれで済む話だ。けれど、ポストに手紙を入れるのも手紙を書く楽しさのひとつだ、といずみは考えているので、自分が受け取ることなど思いもしない。
「……うん、これで、いい」
朱里はもう一度文面を確認して答えた。
「それじゃあ、行こうか」
うん、と言って朱里は右手に葉書を掴む。いずみが朱里を連れてフロアに戻ると、いずみの代わりで窓口に座っているチーフが、二人に気づいて顔を向けた。
「朱里ちゃん、お手紙書けた?」
いきなり声を掛けられて驚いたのか、朱里が返事をするまでに、少し時間が掛かった。
「……うん」
「はい、素敵なお手紙が書けました」
二人はカウンターを抜けて、扉から外へ出る。出入口のすぐ横に円柱形のポストがあり、その前で立ち止まる。朱里は葉書を右手に持ったまま、差入口を見上げている。けれどいつまで経っても朱里が動かない。
「どうしたの?」
疑問に思ったいずみは声を掛けた。
「……届かない」
「あ、ごめんね」
いずみは朱里の両肩の下に手を挟み、彼女を後ろから持ち上げる。いずみは手紙を持つ右手を前に伸ばした。
「……うん、入れた」
朱里からは、いずみの頭が邪魔をして前が見えなかったのだが、葉書はきちんとポストへ投函されたようだ。
「楽しみだね、お母さんに届くの」
いずみは朱里を地面に下ろした。朱里は満足そうに頷いた。
「……うん」
ちょうどそのとき、正午を報せるサイレンが鳴った。二人とも、自然に音がする方に顔を向ける。音源は、郵便局から西の方面である。
「これからお姉ちゃんたちお昼なんだけど、一緒に食べていかない?」
昼食は簡単なもの、おそらく今日は余っている素麺だろうし、朱里の分を余計に作っても、手間はほとんど掛からない。お客さんを大切にしろといつも言っているチーフなら、まず断ることはない。むしろ、歓迎してくれるだろう。この数ヵ月で、チーフの人柄も大分解ってきている。
基本的に、いずみとチーフが局員室で食事を摂っている間、鴉が窓口に座っている。鴉は昼に何か飲み物を飲む程度で、食事を摂ることはなかった。特に休憩を必要としないのか、律儀にも局員室で水分補給を終えたらすぐ窓口に着いている。昼休みは五分と取っていないだろう。
「……いい。戻る」
いずみの提案に嬉しそうな顔をしたものの、朱里はすぐに首を振った。おそらく、母親が食事の用意をして待っているのだろうから、朱里が断るのであれば、無理に引き止めることはない。
「そっか。また、遊びに来てね」
そう言われて、朱里は一瞬だけ脅えたような表情を作る。けれどそれをいずみが訝しがる前に、朱里はにっこり笑って見せた。
「……うん。わかった。ばいばい」
手を振って一度だけ振り向くと、朱里はサイレンの鳴った方向へ駆け出していった。
いずみにとっては、ようやく集配時間がやってきた、という感じだった。
朱里が帰ったあと、休憩中も仕分けの最中も、いずみは自棄に落ち着きがなかった。鴉は何も口にせず、黙々と仕分け作業をしていたが、チーフからは注意を受けた。
「いずみちゃん、少しは落ち着いたら?」
「え、いつもと同じですよ。私は変わりないですよ」
やれやれといった感じで、チーフは鴉に訊ねた。
「カー君、いつものいずみちゃんと違うよね?」
いきなり話を振られても、鴉は動じない。
「行動が小刻み。口調が早い。声が高い」
「え?」
いずみが声を上げる。鴉は手に持った何通かの封筒を、いずみに見えるように掲げた。
「いつも以上に間違いが多い」
「あ、ご、ごめんなさい」
慌てて鴉が持っていた手紙の住所を確かめる。
「それから……」
「カー君、そこでお終い」
額に手を当てたチーフから制止の声が入り、鴉はまた黙々と作業に戻る。鴉はいずみが間違えた数枚の手紙を、仕分け箱の正しい場所へ移す。
「はい、違います、って答えてくれれば良かったんだけどね。……でも、仕分け違いを集配前に気づいてくれるのは、さすがカー君」
「そうですよね、さすが鴉さんです」
いずみも一緒に肯定する。
「違うでしょ、いずみちゃん」
「あ……すみません」
チーフと鴉に対して、交互に頭を下げる。
「いずみちゃん、朱里ちゃんの手紙を早くに届けたいんでしょうけど、一人だけを特別扱いにする訳にはいかないの。手紙を誰かに届けたい人や、待っている人は、他にもたくさんいるんだから。局長代理としては、そういうところはきちんとしておかないといけないの。ごめんね」
「はい……そうですよね」
いずみはしゅんとなってしまう。
「まあ、私個人の意見を言えば、解らないこともないんだけど。自分が手伝った訳で、小さい子がお母さんに送る手紙だし」
「そうですよね、解りますよね」
科白は同じだが、いずみの表情は先と正反対である。
「だって、初めてですよ。初めてなんですよ。大丈夫かなあ、平気かなあって、心配になります。私だって、初めてのときは凄くどきどきしました」
嬉々として話すいずみに、チーフは微苦笑を漏らす。
「……いずみちゃん、可愛い顔で、初めて初めてって、そんなに続けて言わないで。こっちの方がどきどきしちゃうから」
「……はい? ……解りました」
チーフの言っていることは良く解らないが、いずみは素直に頷いてしまう。
「あ、そうだ。チーフ」
作業に戻ろうとしたいずみの手が止まる。
「さっき、用宗さんのことを知っているようなことを言ってませんでしたか?」
いずみが、朱里を連れて局員室へ行こうとしたときのことである。
「ああ、あれね、知り合いって訳じゃないんだけど。ええと、何年前かな、あれは……。まだ、みんなが一緒のころだから、五年か六年くらい……前、かな」
みんなが一緒、というところだけ、チーフの口調は弱くなっていた。
「それが、このタカベの用宗さんかは解らないけど、当時、ちょっとした噂が広まってたの。何でも用宗さんの……」
「タカベですか?」
突然、鴉が口を挟んだ。
「掛川が配りたいというのなら、すぐにでも出てもらった方が良いでしょう。残りは、俺がやっておきます」
いきなりのことに、しばしチーフは途惑っていたが、鴉の言おうとすることは解ったようだ。壁に掛かった時計を確かめる。
「……そうね、一人だけ特別っていうのは駄目だけど、他の人たちへの郵便が特別に遅くなる、っていうのは不味いし。仕方ないか」
何やら呟いていたチーフは、いずみを振り返る。
「いいわ、いずみちゃん。今日だけは特別に、今から集配に行っても」
「ほ、本当ですか」
「ええ、カー君も構わないそうだし」
いずみは鴉を見つめて言う。
「鴉さん、ありがとう。助かります」
「礼を言われる覚えはない」
鴉は、いずみの礼に素っ気なく返す。
「ただし、集配はいつも通りの順番で。朱里ちゃんの手紙を先にするってのは駄目だからね」
「はい、それは、大丈夫です」
チーフにはっきり答えると、いずみはすぐに支度を始めた。配達用の鞄を持ってきて、仕分け済みの郵便物を中へと詰めていく。朱里の葉書が入っていることを、忘れずに確かめる。
「それじゃ、あとお願いします」
鞄を肩に掛けると、後ろも振り返らすに、郵便局を飛び出していく。
扉を開けて入ってきたのは、まだ小さな女の子。初等部の低学年くらいだろう。首からポシェットをぶら下げている。女の子は郵便局へ来たことがないのか、きょろきょろと周囲を見回していた。一人で来たようで、保護者や連れの姿はない。
「いらっしゃいませ」
いずみは女の子に笑顔を向ける。その声に驚いたのか、女の子は急に立ち止まってしまう。カウンター越しにおずおずといずみを見上げはするものの、女の子はそこから動こうとしなかった。
女の子がいつまでも佇んでいそうなのを見兼ねて、いずみは女の子の許に駆け寄った。しゃがみ込み、目線の高さを女の子に合わせる。そこでふと、妙な感覚に捉われる。初めて会ったはずなのに、どこかで見掛けたことがあるような。それとも、前に会ったことがあるのだろうか。
いや、郵便局へ来たことがあるのなら、覚えているはずだ。親子連れの客が来たとき、いずみは親だけでなく子供に対しても、きちんと顔を見て挨拶をするようにしている。毎日のお客はそれほど多くないし、子供連れで来る者の方が珍しい。少なくとも、全く思い出せないということはない。ならば、誰かと勘違いしているだけだろう。
「今日は、どんなご用かな。切手や葉書のお買い物?」
女の子の視線は、真っ直ぐいずみに向いている。
「えっと、お姉ちゃんは、いずみ。掛川いずみ」
いずみは自分を指で示し、唐突に自己紹介を始めた。
「……いずみ?」
女の子はいずみを見上げたまま繰り返した。
「そう、いずみ。あなたのお名前は?」
いずみを真似てか、女の子も自分の胸に手を当てる。
「……あ、朱里(あかり)。用宗(もちむね)……朱里。」
ゆっくりと口を開いて、女の子は答えた。その返答にいずみはにっこりと頷く。
「朱里ちゃん、今日はどんなご用で来たの」
もう一度、いずみは同じことを聞き返す。
「……手紙」
朱里と名乗った女の子は言う。
「手紙? お手紙、書いてきたの?」
朱里は左右に首を振った。
「手紙、書くの。お母さんに」
途切れ途切れに朱里は話す。
「お母さんに、お手紙書きたいの?」
うん、と朱里は大きく頷いた。書いた手紙を直接母親に渡すのではなく、郵送した形で母親に渡したいのだろう。手紙の書き方だけなら、学校の先生に訊けば、教えてくれるはずである。郵便局へ来たのは、手紙のことなら郵便局員の方が詳しいと考えたからだろうか。
「チーフ、あの」
といずみが声を掛けるのが解っていたかのように、チーフは口を開いた。
「いいわ、ここは私が見てるから。お客さんに手紙の書き方を教えてあげて」
「あ、はい。ありがとうございます」
そう言って、朱里に振り返る。
「じゃあ、お姉ちゃんと一緒にお手紙書こうね。こっちに、来てくれる」
いずみは朱里の手を取って、局員フロアの奥にある扉へと向かう。朱里を先に行かせ、いずみはチーフを振り返る。
「それじゃあ、チーフ。すみませんが、お願いします」
窓口に移動したチーフは、首を傾げてどこか上の空だった。
「あの子、どこかで……。それに、用宗って……」
「あの、チーフ?」
「……え、ああ、そうね。解ったわ」
いずみの再度の問い掛けで、ようやくチーフは返答した。
開け放した窓からは、蝉の声がひっきりなしに聞こえる。年代ものの扇風機が首を回す。畳敷きの部屋には、小綺麗に纏った調度品がいくらか並んでいた。局員室とは名ばかりで、食事や休憩のときに使われる部屋である。隅が小さな台所になっていて、簡単なものであれば調理もできる。
「ここにこうやって、相手の住所を書けば、郵便屋さん……お姉ちゃんたちが、この場所にお手紙を届けるの。左の下には、お手紙を書いた人の名前を書くの」
長方形の机に、いずみと朱里は隣り合って座っている。手紙を書くのは初めてだという朱里に、いずみが説明をしていた。
机の上には葉書や封筒に便箋、他には色鉛筆やサインペンなどの筆記用具が載っている。手紙を書くと言いながら、朱里は葉書も便箋も何も持ってきていなかった。これらの葉書や封筒は、今日は特別だよと言って、いずみが用意したものである。書き損じた場合のために、葉書や便箋は何枚か余分に置かれていた。
便箋にするか葉書にするかを訊ねたが、朱里は違いが解らないようだったので、いずみは葉書を使うことにした。朱里が書く手紙がそれほど長いものとは思わなかったからだ。それに便箋だと罫線に沿って書かなければならず、白紙の葉書であれば自由な大きさで好きなように書くことができる。
「えっと、ここに、宛先。朱里ちゃんがお母さんと一緒に住んでいる場所を書くんだけど、住所、どこか解る?」
いずみの説明を聞いてはいるようだが、朱里の表情は芳しくない。
「じゅうしょ……?」
朱里は、何を言われているのか理解していない様子である。
「ええとね」
いずみは葉書を一枚手にして、表に自分の住所と郵便番号を書いてみせる。朱里に解りやすいようにと、自分の名前まできちんと書き込んだ。
「これが、いずみの……住所?」
「うん、そうだよ」
呼び捨てにされているが、いずみは気に掛けることもない。
「こんなふうに、上に数字が書いてあって、真ん中にお母さんのお名前、横に書いてあるのが住所なんだけど。お母さんに届いたお手紙とか、見たことない?」
「あ……」
朱里はしばらく顔を傾けていたが、もう一度葉書をじっと見ると、ポシェットの中を探し始めた。朱里がいずみに差し出したのは、水に濡れたものを乾かしたのか、かなり変色した藁半紙だった。薄くなった文字が、かろうじて読み取れる。
どうやら学校行事の申込書らしい。朱里の住所と氏名が書かれており、保護者の欄には、用宗縁里(ゆかり)と記されている。縁里というのは、朱里の母親だろう。
「お母さんは、用宗縁里さん?」
「うん」
いずみが訊ねると、朱里は即答した。
「それじゃ、お手紙書こうか。好きなのを使って良いよ」
宛先が解ったので、いずみは手紙の文面を書くように、朱里を促す。
机上のサインペンや色鉛筆の中から、朱里は青色の鉛筆を手に取った。いずみは、朱里に渡された藁半紙の住所を別の紙に書き写そうとする。住所を訊かれてからの反応を見るに、朱里が自分の住所を空で覚えている可能性は薄い。ならば擦れた文字を写させるより、自分が大きな文字で書き写したものを手本にした方が、住所を書きやすいだろうと考えたのだ。
鉛筆を動かす音が途絶えたので、ふと隣を見ると、朱里の手が止まっている。
「朱里ちゃん、どうしたの?」
「解らない」
朱里は鉛筆を握り締めたまま、いずみを見る。
「どうやって書けばいい?」
「そうだね……」
少し考えてから、いずみは口にする。
「朱里ちゃんが、お母さんに伝えたいこと、伝えたいと思ったことを、そのまま書けばいいんだよ」
「思った、まま……?」
いずみの言葉を繰り返す。
「そう、難しく考える必要はないよ。普段話していることでも、話せないことでも、何でもいいの。朱里ちゃんが書いたお手紙は、世界でたったひとつだけの、お母さんへのお手紙なんだから」
朱里はしばらく何か思案しているように固まっていたが、やがて鉛筆を強く握って葉書に書き始めた。
「お母さんへ……どうも……おひさしぶり……」
「……って?」
お母さんにお久し振りって、それはいくらなんでも違うんじゃないのかなあ。といずみは思ったものの、朱里が楽しそうに書いているのを見て、口にはしなかった。何より大切なのは、相手のことを想って書くことなんだから。朱里ちゃんはお母さんへの手紙を懸命に書いている。心が十分籠もっている手紙に、文句をつける必要はない。
いずみは中断していた住所を写す作業に戻る。改めて住所を確認して、いずみはふと疑問に思った。この場所って。用宗縁里の住所であるタカベという地域は、南町の東の外れ、場所的にはむしろ東町の方に近い。子供の足でここまで来るのは、かなり大変だったのではないだろうか。
「朱里ちゃん、郵便局までは何できたの?」
「お母さんは……歩いて……きっと……わぁ、歩いてって、何。間違えたよお」
朱里が声を上げたので、いずみは慌てふためく。
「あ、ごめんね。急に声掛けて。その、失敗しちゃったなら、まだ葉書あるし、書き直す?」
いずみは、葉書を何枚か揃えて朱里に見せた。けれど朱里は、消せるから大丈夫と言って首を振り、そのまま書き続けた。
「お花……描いていい?」
藁半紙の住所を書き写し終えたところで、朱里が声を掛けてきた。
「お花?」
何を言っているのか、すぐに意味を把握することが出来ず、いずみは鸚鵡返しに聞き返してしまった。
「……うん。お母さんが好きなお花」
「そうだね、お母さん、きっと喜んでくれるよ」
うん、と言って朱里がそのまま絵を描こうとするので、いずみは慌てて止めた。
「待って、朱里ちゃん。お花の絵を描くなら、色を変えた方が綺麗だよ」
いずみは色鉛筆のケースを持って、朱里に差し出す。
「お母さんはどんなお花が好きなの?」
朱里は途惑いのような表情を浮かべたが、それはすぐに消え、朱色の鉛筆に手を伸ばした。朱里ちゃんの色だねといずみは言ったが、朱里には意味が通じなかったようだ。
「あと、これも」
そう言って緑色の鉛筆も手にして、朱里は花の絵を描き始めた。朱里の楽しそうな横顔を見て、いずみはとても綺麗な花なんだろうなと思う。それからしばらく朱里は作業に集中し、何度も見直しをして、鉛筆を手から離した。
「いずみ。できた」
「どれどれ」
いずみは、朱里の手許を覗き込む。朱色の花弁が大きな花だった。決して巧くはないが、朱里が懸命に描いたことが良く解る。
「うん、お母さんは、きっと喜んでくれるよ」
「……うん」
少し控えめな感じで、朱里は答えた。
「それじゃあ、次は住所だね」
いずみは葉書を裏返した。先程、花の絵を見たときに、文面が見えてしまったのは仕方がない。ただし、いずみが見たのは花の絵であり、文章は読まないように心掛けた。
住所と通信欄が、表側にある葉書きを配達するときも同様である。プライバシーに配慮して、個人情報保護のため、などといったことではなく、他人宛ての手紙は読んではいけないと、いずみが考えているからである。
葉書の隣に、自分が住所を移した紙を並べる。
「この番号は、ここ。この四角いところに書くの。あとは、私が書いた住所を移してくれれば、ちゃんとお家に届くから」
「……うん」
住所の紙と葉書を、朱里は何度も見較べた。
「ここ、知ってるよ」
当然のような朱里の答えにも、いずみはいちいち頷いている。
「そう、朱里ちゃんが住んでいるところだよ。この住所を覚えておけば、今度は一人でも、お母さんにお手紙出せるからね」
朱里にとっては難しい文字が多いのか、文面を書いていたときより、表情が険しくなっている。声を掛けて邪魔をするのも悪いと思い、いずみは立ち上がった。
部屋の隅に置いてある冷蔵庫から、冷やした麦茶を取り出す。ジュースの方がいいかなと思うものの、ここには備えがない。これで我慢してもらおう。コップを二つ用意して、麦茶を注ぐ。
いずみは両手にコップを持って戻ってきた。
「朱里ちゃん。はい、どうぞ」
右手に持っていたコップを朱里の傍らに置く。
「……うん」
出された麦茶を、朱里はすぐに飲み干した。
「そんなに喉渇いてたんだ。こっちも飲む?」
朱里が首を縦に振ったので、いずみは左手のコップを手渡す。
「住所は書けた?」
コップに口をつけた朱里の横に座り、いずみは書かれた住所を確かめる。文字は大きかったり小さかったりするものの、住所は間違っていない。とはいえ、この手紙は自分が配達するつもりなので、仮に間違っていたとしても、いずみが届ける場所を覚えてさえいれば問題はなかった。
「これでいい? 良ければ、今からお手紙を出しに行こうね。郵便局の前に、大きなポストがあったでしょ。あれに入れるの」
そんなことをせずとも、この葉書をいずみが受け取り、集配箱に入れてしまえばそれで済む話だ。けれど、ポストに手紙を入れるのも手紙を書く楽しさのひとつだ、といずみは考えているので、自分が受け取ることなど思いもしない。
「……うん、これで、いい」
朱里はもう一度文面を確認して答えた。
「それじゃあ、行こうか」
うん、と言って朱里は右手に葉書を掴む。いずみが朱里を連れてフロアに戻ると、いずみの代わりで窓口に座っているチーフが、二人に気づいて顔を向けた。
「朱里ちゃん、お手紙書けた?」
いきなり声を掛けられて驚いたのか、朱里が返事をするまでに、少し時間が掛かった。
「……うん」
「はい、素敵なお手紙が書けました」
二人はカウンターを抜けて、扉から外へ出る。出入口のすぐ横に円柱形のポストがあり、その前で立ち止まる。朱里は葉書を右手に持ったまま、差入口を見上げている。けれどいつまで経っても朱里が動かない。
「どうしたの?」
疑問に思ったいずみは声を掛けた。
「……届かない」
「あ、ごめんね」
いずみは朱里の両肩の下に手を挟み、彼女を後ろから持ち上げる。いずみは手紙を持つ右手を前に伸ばした。
「……うん、入れた」
朱里からは、いずみの頭が邪魔をして前が見えなかったのだが、葉書はきちんとポストへ投函されたようだ。
「楽しみだね、お母さんに届くの」
いずみは朱里を地面に下ろした。朱里は満足そうに頷いた。
「……うん」
ちょうどそのとき、正午を報せるサイレンが鳴った。二人とも、自然に音がする方に顔を向ける。音源は、郵便局から西の方面である。
「これからお姉ちゃんたちお昼なんだけど、一緒に食べていかない?」
昼食は簡単なもの、おそらく今日は余っている素麺だろうし、朱里の分を余計に作っても、手間はほとんど掛からない。お客さんを大切にしろといつも言っているチーフなら、まず断ることはない。むしろ、歓迎してくれるだろう。この数ヵ月で、チーフの人柄も大分解ってきている。
基本的に、いずみとチーフが局員室で食事を摂っている間、鴉が窓口に座っている。鴉は昼に何か飲み物を飲む程度で、食事を摂ることはなかった。特に休憩を必要としないのか、律儀にも局員室で水分補給を終えたらすぐ窓口に着いている。昼休みは五分と取っていないだろう。
「……いい。戻る」
いずみの提案に嬉しそうな顔をしたものの、朱里はすぐに首を振った。おそらく、母親が食事の用意をして待っているのだろうから、朱里が断るのであれば、無理に引き止めることはない。
「そっか。また、遊びに来てね」
そう言われて、朱里は一瞬だけ脅えたような表情を作る。けれどそれをいずみが訝しがる前に、朱里はにっこり笑って見せた。
「……うん。わかった。ばいばい」
手を振って一度だけ振り向くと、朱里はサイレンの鳴った方向へ駆け出していった。
いずみにとっては、ようやく集配時間がやってきた、という感じだった。
朱里が帰ったあと、休憩中も仕分けの最中も、いずみは自棄に落ち着きがなかった。鴉は何も口にせず、黙々と仕分け作業をしていたが、チーフからは注意を受けた。
「いずみちゃん、少しは落ち着いたら?」
「え、いつもと同じですよ。私は変わりないですよ」
やれやれといった感じで、チーフは鴉に訊ねた。
「カー君、いつものいずみちゃんと違うよね?」
いきなり話を振られても、鴉は動じない。
「行動が小刻み。口調が早い。声が高い」
「え?」
いずみが声を上げる。鴉は手に持った何通かの封筒を、いずみに見えるように掲げた。
「いつも以上に間違いが多い」
「あ、ご、ごめんなさい」
慌てて鴉が持っていた手紙の住所を確かめる。
「それから……」
「カー君、そこでお終い」
額に手を当てたチーフから制止の声が入り、鴉はまた黙々と作業に戻る。鴉はいずみが間違えた数枚の手紙を、仕分け箱の正しい場所へ移す。
「はい、違います、って答えてくれれば良かったんだけどね。……でも、仕分け違いを集配前に気づいてくれるのは、さすがカー君」
「そうですよね、さすが鴉さんです」
いずみも一緒に肯定する。
「違うでしょ、いずみちゃん」
「あ……すみません」
チーフと鴉に対して、交互に頭を下げる。
「いずみちゃん、朱里ちゃんの手紙を早くに届けたいんでしょうけど、一人だけを特別扱いにする訳にはいかないの。手紙を誰かに届けたい人や、待っている人は、他にもたくさんいるんだから。局長代理としては、そういうところはきちんとしておかないといけないの。ごめんね」
「はい……そうですよね」
いずみはしゅんとなってしまう。
「まあ、私個人の意見を言えば、解らないこともないんだけど。自分が手伝った訳で、小さい子がお母さんに送る手紙だし」
「そうですよね、解りますよね」
科白は同じだが、いずみの表情は先と正反対である。
「だって、初めてですよ。初めてなんですよ。大丈夫かなあ、平気かなあって、心配になります。私だって、初めてのときは凄くどきどきしました」
嬉々として話すいずみに、チーフは微苦笑を漏らす。
「……いずみちゃん、可愛い顔で、初めて初めてって、そんなに続けて言わないで。こっちの方がどきどきしちゃうから」
「……はい? ……解りました」
チーフの言っていることは良く解らないが、いずみは素直に頷いてしまう。
「あ、そうだ。チーフ」
作業に戻ろうとしたいずみの手が止まる。
「さっき、用宗さんのことを知っているようなことを言ってませんでしたか?」
いずみが、朱里を連れて局員室へ行こうとしたときのことである。
「ああ、あれね、知り合いって訳じゃないんだけど。ええと、何年前かな、あれは……。まだ、みんなが一緒のころだから、五年か六年くらい……前、かな」
みんなが一緒、というところだけ、チーフの口調は弱くなっていた。
「それが、このタカベの用宗さんかは解らないけど、当時、ちょっとした噂が広まってたの。何でも用宗さんの……」
「タカベですか?」
突然、鴉が口を挟んだ。
「掛川が配りたいというのなら、すぐにでも出てもらった方が良いでしょう。残りは、俺がやっておきます」
いきなりのことに、しばしチーフは途惑っていたが、鴉の言おうとすることは解ったようだ。壁に掛かった時計を確かめる。
「……そうね、一人だけ特別っていうのは駄目だけど、他の人たちへの郵便が特別に遅くなる、っていうのは不味いし。仕方ないか」
何やら呟いていたチーフは、いずみを振り返る。
「いいわ、いずみちゃん。今日だけは特別に、今から集配に行っても」
「ほ、本当ですか」
「ええ、カー君も構わないそうだし」
いずみは鴉を見つめて言う。
「鴉さん、ありがとう。助かります」
「礼を言われる覚えはない」
鴉は、いずみの礼に素っ気なく返す。
「ただし、集配はいつも通りの順番で。朱里ちゃんの手紙を先にするってのは駄目だからね」
「はい、それは、大丈夫です」
チーフにはっきり答えると、いずみはすぐに支度を始めた。配達用の鞄を持ってきて、仕分け済みの郵便物を中へと詰めていく。朱里の葉書が入っていることを、忘れずに確かめる。
「それじゃ、あとお願いします」
鞄を肩に掛けると、後ろも振り返らすに、郵便局を飛び出していく。
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キタヤマ
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プロフィール
HN:
ミズサワ
性別:
男性
職業:
求職中
自己紹介:
初めまして。ミズサワです。あの「失われた」90年代に、10代の総てを消費しました。
ミジンコライフ継続中。
ミズサワの3分1は「さだまさし氏の曲」で、3分の1は「御嶽山百草丸」で、残りの3分の1は「××××」で構成されています。
小説・コミック・アニメ・ゲーム・等、媒体に拘わらず、あらゆる物語を好みます。付き合いが長いのは「新本格」作品。卒業論文も「新本格」。論理性よりも、意外性を重視。
「すべての小説が館ミステリになればいい」
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数日遅れで更新しています
・日記のようなもの、あるいいエッセイ、もしくは思い込み。
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メールやコメント等の返信は、著しく遅くなることがあります。
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