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小説・アニメ・コミック・ゲーム等、様々な創作媒体についての感想やら何やら、あるいは、永遠に敗北者な日常と思考
No.
2017/11/23 (Thu) 01:41:56

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No.9
2009/08/13 (Thu) 01:13:42

郵便屋さんのお仕事 第1話/姫百合の願事(1)

 何だこれ。
 わたしは目の前に置かれた変なものをじっと見つめる。
 そのキュウリには足が生えていた。へたに近い方に二本、反対側に二本、細い木か棒のようなものが併せて四本くっついている。短いのが前足で、長いのが後ろ足のようだ。四本足のキュウリは、家の玄関を向いて立っていた。こんな変なもの、学校の先生からも聞いたことがない。みんなだって知らないだろう。
「何、これ?」
 わたしはお母さんに訊く。
「これはね、お馬さん」
 お母さんは手に持っていたお皿を、少し離してキュウリの横に並べた。
「……おうまさん?」
 わたしはお母さんの言葉を繰り返す。なるほど、足が四本あるのはお馬さんだからか。手に取ろうとしたら、向きを変えちゃ駄目よと言われた。わたしは伸ばした手を引っ込め、キュウリのお馬さんに顔を近づけてじっと眺める。まあ、お馬さんだと言われてみれば、そのように見えないこともない。
 わたしがお昼寝をしている間、お母さんは何かを作っていたようだった。それがこのキュウリのお馬さんらしい。お母さんはわたしを連れて外に出ると、扉の前にこのキュウリを置いたのだ。しかし何でこんなものを作っていたんだろう。それに、家の外に飾ったら、雨が降れば濡れてしまうし、風が吹いたら倒れてしまう。誰かに蹴飛ばされることだってあるかもしれない。
 キュウリから目を離して、わたしはお皿を見る。お皿の上には細長い草や木のようなものが載っていた。何でこんなものがお皿の上に。意味が解らない。お母さんは一体何をしているのだろう。
 お母さんがわたしの名前を呼んだので、立ち上がってお母さんの隣に並んだ。夕日に照らされたわたしの影と、お母さんの影が重なる。
「余り、近づかないようにね」
 お母さんは屈んでマッチを擦った。やがてお皿の上に細長い炎が揺れて、煙が立ち上る。わたしはお母さんの背中に隠れるようにして、大きくなったり小さくなったりする炎を眺めていた。
「これは、目印なの。お父さんが迷わないで帰ってこられるように」
「……え?」
 お母さんは立ち上がった。わたしの手を掴むと、少し後ろへ下がる。
「キュウリのお馬さんに乗って、お父さんが帰ってくるの」
 お母さんはさっきから変なことばかり言っている。こんな小さいキュウリにどうやったら人が乗れるのか。それよりも、今、お母さんはもっと変なことを言わなかっただろうか。お父さんが帰ってくる、と。
「お父さんが……帰ってくる?」
 それが本当だったら、とても嬉しい。わたしは、もう長い間お父さんと顔を合わせていない。どこへ行ったのかを訊いても、お母さんははっきりしたことを教えてくれなかった。
「お父さん、帰ってくるの?」
「ほんの少しでもいい……。帰ってきて、欲しい……」
 お母さんは悲しそうな目をしていた。お母さんの瞳には、わたしではなく別の誰かが映っているようだった。もしかしてお父さんだろうか。お母さんにはお父さんの姿が見えているのだろうか。そのままお母さんが黙ってしまったので、わたしは慌ててお母さんの服を引っ張った。
「お……お母さん……」
 お母さんははっとした様子でわたしを振り返る。
「いつか……いつかきっと……」
 そう言ったお母さんは、わたしの知っているいつもの優しい笑顔を見せた。

 〒 〒 〒

 掛川(かけがわ)いずみは布団の上で目を覚ました。
 カーテンの隙間から光が差し込み、雀の鳴く声が聞こえる。どうやら夢を見ていたようだ。けれど詳しい内容は思い出せない。誰か知っている人が出てきていたような、何かを話し掛けてきたような、会いたい人に会えるだとか何とか。そんなことを聞いた気がする。
 寝惚け眼で、いずみは漠然と考える。会いたい人。考えるまでもない。私が会いたい人は一人しかいない。窓辺に置いた写真立てに目を遣ると、いずみの頬が弛む。しばらくそのままの体勢で微動だにしなかったが、はっとして首を左右に振る。って、朝から何を考えているんだろう。早く起きないと。
 立ち上がってカーテンを開けると、眩しさに思わず目を瞑った。今日も暑くなりそうだ。布団を畳むと、着替えを持って浴室へ向かう。草臥れた扇風機でどうにか暑さを凌いでいるこの時期は、朝起きると寝巻が濡れていることがままあった。汗がべとついたままでいるのは、気持ちが悪くてシャワーを浴びていたのだが、いつの間にか習慣となっている。
 それに寝起きが余り良くないいずみにとって、熱い湯を頭から浴びるのは、目を覚ますのに効果的だった。寒い季節になっても続けるかどうかは解らないが、この暑い時期だけは毎朝の日課になるだろうと考えている。
 浴室を出て、髪を乾かしたあとで着替える。ブラウスにスカートという、休日以外はほぼ同じ格好。ネクタイは誤って紅茶のカップに浸してしまったことがあり、それ以来、朝食を終えてから着けるようになった。
 ミルクとトーストの簡単な朝食を済ませると、歯を磨き、身支度を整える。ネクタイを締めたブラウスの上に、制服である紺色のベストを着込む。姿見の前に立って、短い髪にヘアバンドを着けた。髪を纏めるためだとか、おしゃれのためだとか、そういった感覚はない。いずみがいつも黄色い大きなヘアバンドを使うのは、大好きな人にもらったお気に入りのものだから、という単純な理由に拠る。
 最後に、おかしなところがないか確認する。うん、大丈夫。戸締まりをして、靴を履く。玄関を出る前に振り返り、写真立てに向かって声を掛けた。
「それじゃあ、行ってきます。お父さん」

 いずみは集合住宅の外に出る。
 自転車に乗ろうとすると、すぐ前の道で数人の子供たちがしゃがみこんでいるのが見えた。子供たちは、前に立つ若い女性の話を熱心に聞いているようだ。このような光景は見慣れている。けれど、何も朝のこんな時間からと思わなくもない。
「おはよう、みんな」
 いずみは自転車を引いて彼女の許へ近づいた。先に気づいたのは、こちらを向いていた子供たちで、ようとか、おうとか、いずみーとか、それぞれに挨拶を返してくる。いずみの仕事柄、子供たちとは顔馴染みである。
「おう、掛川」
「おはようございます」
 振り向いた女性に挨拶を返す。いずみの背丈が低く彼女が長身であるため、いずみは彼女を見上げる形になる。
「お前も、一緒に聞いてくか?」
 彼女はいずみが暮らす集合住宅の管理人である。歳の頃は、二十歳そこそこ。透き通ったような白い肌、腰まで届く艶やかな黒髪に、真っ白なワンピースを着こなして、これまた白い日傘を差している。
 管理人、河瀬涼風(かわせりょうか)は一見すると良家のお嬢様のように思えるが、それはあくまで彼女の外見しか知らない者の感想である。大人しい、清楚な、箱入り娘、という評価は彼女と接すれば、とても容易く崩れるだろう。
「私はこれからお仕事なんですよ」
 いずみはさらりと涼風の誘いを断る。初対面のときから、彼女に対し突っ慳貪な態度を取ってしまっているようだ。しかしそれは彼女を嫌っているからではない。いずみが最終的に一人暮らしの部屋を決めたのは、管理人である涼風を少なからず信頼しているからに他ならない。いずみは涼風のことを好いている、ある一点を除いては。
「みんなも、こんなところで道草食ってたら、学校遅刻しちゃうよ」
「道草って、そんな言葉、私は使ったことはないが」
 いずみは涼風の突っ込みを無視して、子供たちに時間を教える。涼風は時間を気にしない質なので、時計を身につけていない。子供たちは子供たちで、涼風の話を夢中で聞いていたふうだったので、時間を忘れていたのだろう。いずみに今何時かを報された子供たちは、やばい、まずいなどと口にして立ち上がる。
「時間じゃ仕方ない。急いで転ぶなよ」
 涼風といずみに、また来るよ、じゃあなといった返答をしながら、子供たちは駆け出していった。
「それにしても、こんな時間から何をやってたんですか? あの子たち、随分真剣な顔してましたけど」
「何だ、やっぱり気になるのか?」
 いずみを見て、涼風は楽しそうに微笑む。涼風の話し方は誰に対しても変わらない。それは解っているのだが、子供たちと同じような扱いをされると、自分も子供のように思われているのではと考えてしまう。私はもう十四歳なのに。
「べっ、別に。私は子供じゃありませんから、涼風さんの作り話なんて聞きたいとは思いませんっ」
 涼風はいずみの顔をじっと見つめる。
「ななな、何ですか?」
「私も一緒に聞きたかったのに、と顔に書いてある」
 いずみが子供扱いされるのを嫌がると知ってか、涼風はいずみをからかう傾向がある。もっとも、涼風は子供たちに対しても同じようなことを言うので、特別いずみだけがからかわれている訳ではないのだが、どうしても落ち着いて対応することができない。
「書いてありませんっ!」
 いずみは即答する。
「残念だが、今朝は作り話ではない。夏の風物詩について説明していた」
 涼風は日傘を持ち替える。その些細な仕草に、思わずいずみは見惚れてしまいそうになる。
「……風物詩?」
「といっても、今やかなり廃れてきているようで、あの子たちの親や、学校の先生にも知らない人間が多いそうだ。子供たちにとっては、不思議で堪らないんだろう」
「涼風さんが何を言っているのか、解りません」
 いずみはきょとんとした顔をする。涼風が何のこと言っているのかの見当もつかない。
「この時期になると、変なものが飾られたり、妙なものが出たりする」
「変な、もの?」
 涼風は傘を持っていない方の手を顔の横に掲げると、手の甲をいずみに見えるように下げた。いずみは手招きされたのかと思い、躊躇いがちに歩を進める。涼風の傘に、二人で収まる形になった。
「……掛川。どうしてお前とひとつの傘に入らないといけないんだ」
「え?」
 慌てて涼風から身を離し、更に二、三歩後ろに下がる。
「ちっ、違いますよ。……わっ、私は」
 いずみは何故か頬を赤くして必死で否定する。
「りょ、涼風さんが……こっちに来いって言ったから……」
「こっちに来い?」
 上げていた自分の手を見て、涼風は納得がいったようだ。
「ああ、違うよ。今のはこっちに来いという意味ではなくて」
「……あ!」
 いきなりいずみは声を上げた。
「涼風さんのお話を聞いていられる時間ではないんです。私ももう行かないとっ」
 慌てて自転車に乗るいずみに、涼風が先程と同じ注意をする。
「急いで転ぶなよ」

 いずみはゆっくり自転車を漕ぐ。
 涼風には遅刻してしまうかのように言ったものの、時間には余裕を持って出てきているので、開局時間に遅れることはないだろう。
 いずみが使用している自転車は、荷台に専用のカバンを取り付けることの出来る特製のものである。当初は職場に常備されている自転車を使うはずだったのだが、それらはどれも、いずみにとってサドルが高過ぎた。それは、これまでいずみより背の低い従業員がいなかったということを表している。見兼ねた上司が、いずみに便宜を図り、いずみサイズの自転車を用意してくれたのだ。
 通勤する大人や、登校中の学校へ向かう学生たちと擦れ違う。いずみと同い年だろう女の子たちが着ている制服は、いつ見ても可愛い。仕事で彼女たちが通う学校へ行ったとき、学校帰りの学生何人かと話したことがあった。彼女たちは、いずみの制服こそ可愛いと言っていたが、どうなのだろう。毎日着ているせいか、自分では解らない。お互い、同じようなことを考えているのがおかしかった。
 赤信号で自転車を止める。たまたま視界に入った平屋の玄関横に、素焼きの平たい皿が一枚だけ置かれていた。皿には黒い炭のようなものが残っている。出前が回収し忘れたのだろうか。それともトーストが焦げてしまったので、鳥の餌にでもしたのだろうか。そのような詮のない考えは、信号が変わった途端に頭から追い払われてしまう。
 いずみはまたペダルを漕ぎ、いつもの道をいつものように進む。毎日繰り返し通った道である。周囲の風景も変わらない。
 先程、涼風が言ったことを思い出す。夏の風物詩。この時期になると妙なものが飾られる家がある、と。しかしそう言われたところで、いずみがこの町で夏を迎えるのは今年が初めてである。この南町の風景が、去年の夏と変わっていたとしても、自分には気づきようがない。涼風もこの町の出身ではないそうだが、いずみよりも数年長くこの町で暮らしているので、当然いずみよりは南町に詳しい。いずみが解らなくても仕方のないことだろう。
 けれどこの数日間、どうにも変な感じがするのも確かである。何が変なのか、どこが変なのか、はっきりは解らない。これまでと同じはずなのにこれまでと違うような感覚。この妙な感じは、その風物詩とやらが原因なのだろうか。
 再び赤信号で止まったとき、いずみは周囲を見渡した。特に目立って変わっているようなところはない。これまであった家屋がなくなっているだとか、新しい建物が急に建てられだとか、そんなことがないのは明らかだ。それに昨日と今日で急激な変化があれば、いくらいずみとて気づかないはずがない。いずみの目に見える範囲では、目立って変わったものはない。特に妙だと思えるものは――。
 ない。見つからない。涼風の口振りではいかにも怪しいとか、やけに目立つものといった感じだったが、そのようなものは見当らなかった。もしかしたら、いずみが通った道になかっただけで、子供たちが通う道にはあるのかもしれない。別にどうしても、その変なものや妙なものを探したい訳ではない。そう深く考えることもないだろう。自分に関わってくることもあるまいし。このときいずみは、そう考えていた。

 ペダルを踏んで十五分くらい。この町で唯一の郵便局に到着した。建物の中心に大きな扉が位置し、その左隣に幾分くすんだ円筒型のポストが立っている。かつては横長の差入口の下に、白い文字で何かが書いてあっただろうことは推測できるが、「郵便」という文字が記されていたと察するのは難しいほどに色落ちしていた。
 いずみは自転車を降り、建物の裏手に廻る。配達用の自転車が数台並んでいるのは、それと同じ数の局員が働いていたころの名残である。自転車を停めて、いずみは郵便局の正面へと引き返した。局員専用の入口はなく、出入口は正面のひとつだけである。
 カラン、と鈴の音が聞こえた。表へ戻ると入口から背の高い少年が出てくるところだった。長袖のワイシャツに郵便局の制服であるベスト、配達用の鞄を肩に掛けている。
「鴉(からす)さん、おはようございます」
 いずみは少年と擦れ違いざま、挨拶をする。ああ、とだけ答えて少年は歩いていく。いずみのことを気に掛ける様子はない。
 彼はいずみの同僚である。鴉というのはあだ名のようなもので、本名ではない。履歴書に本名が記されていなかったとは思わないが、チーフは彼のことをカー君という愛称をつけて呼んでいるし、いずみが彼と顔を合わせたときも、鴉という呼び名で紹介された。彼はいずみに対し、鴉と名乗り、そう呼んでくれればいいと言った。
 どうして本名を名乗らないんだろうとも思ったが、彼がそう呼べというのであれば、そのように呼ぶことにしよう。きっと、詮索されたくないのだろう。いずみ自身にも、他人に触れられたくないことはある。いつも身に付けているヘアバンドのことを訊かれたら、当たり障りのない返答しかできないだろう。
 それに纏わる出来事はおいそれと他人に話せるものではないし、話したくないことである。なのでいずみは、変に思いながらも、言われた通りに鴉と呼ぶことにした。もっとも、本名を知らないので他に呼びようがないということもあるが。
 初対面のとき、彼はいずみに呼び名だけを教えると、すぐに仕事に戻ってしまったので、彼に関する紹介はすべてチーフから聞いたことである。中等部を卒業して郵便局へ勤め始めて、今年で三年目。年齢はいずみよりふたつ上。以前はどこか別の町に住んでいたが、就職が決まったのを機にこの町の住人となったそうだ。
 人口が少ないとはいえ、この町にも学校はある。そこでは初等部、中等部、高等部と便宜上分かれてはいるものの、実際は、年齢も学年も関係なく授業が行なわれていた。中等部の生徒全員が高等部へ進学する訳ではない。中央の高等学校へ行く者や、働き始める者、それぞれの事情は異なるが、学校を中等部で卒業する者は決して珍しくはなかった。
 いずみもそのような一人というだけである。ただ、彼女の場合、進学を選ばなかった理由が現在の状況に拠るものではなく、過去の約束にあるところは、他の生徒と異なる点かもしれない。
 中等部を卒業して働き始めたことや、就職して初めて南町を訪れたことなど、いずみとの共通点がいくらかあったので、知り合った当初は親近感を抱いたこともあり、いずみは積極的に話し掛けていた。けれど鴉の方はいずみにさして興味もないようで、素っ気ない返事をされただけで、会話が続くことはなかった。
 そのときは途惑いもしたが、この数ヵ月の付き合いで、彼の振る舞いにも慣れてきていた。いずみが無視されているとか、嫌われているとかいうことではなく、鴉は誰に対しても愛想がないのである。けれど与えられた仕事はきちんとこなす。窓口に立てば、お客相手に話もするし、質問にもきちんと答える。表情に変化が見られないことを除けば、鴉は優秀な郵便局員である。
 いずみは鴉と入れ違いになる形で郵便局へ入った。扉に取り付けられた鈴が、音を立てる。局内はカウンターによって仕切られている。カウンターを通り抜けて、いずみはフロアの奥にある扉を開ける。短い廊下のすぐ正面にロッカーが並び、右手が局員室になっている。
 自分のロッカーから、名札を取り出して胸に着ける。ロッカーに付いた鏡で、服装を確かめるのも忘れない。局員用フロアに戻ると、郵便物の仕分け作業に入る。いずみが毎朝一番に行なう仕事である。
 郵便物を手紙と小包に分け、速達、書留、普通の区別をする。普通郵便は番地別に纏め、書留郵便には配達の証拠となる証書を作って貼り付ける。先程鴉が郵便局から出てきたのは、速達郵便の配達に行ったのである。
 本来、局員は同じ時刻に出勤し、仕分けを終えると、一方が速達の配達、残った一方が開局の準備を始めることになっていた。そのような形にならなかった原因は、いずみにあった。
 いずみは朝に弱い。早起きが大の苦手なのだ。どれだけ早く寝ようと、いくら目覚まし時計を並べようと、特定の時刻を過ぎるまでは起きることができなかった。始めのころは、いずみが遅れるのを黙認していた鴉も、それが一週間も続くとさすがに辟易し始めた。やがて速達郵便を遅らせる訳にはいかないからと言う鴉の提案にチーフも同意して、速達の配達を鴉が担当し、残りの仕分けをいずみが担当することになったのだ。
 いずみが南町郵便局で働き始めたのは、今年の四月から。総ての業務をそつなくこなすというには程遠いが、ここ数ヵ月で最低限の仕事はどうにか行なえるくらいにはなっていた。朝、早く起きること以外では。
 ちょうど仕分けを終えたところで、扉が開いた。
「おはよ、いずみちゃん」
 鈴の音と共に入ってきたのは、チーフの国府津君江(こうづきみえ)である。正式な役職は副局長なのだが、いつのころからか、チーフという呼び名が定着している。局長がいなくなったあと、経営が危ぶまれた郵便局を支えてきたのは彼女の手腕に拠るところが大きい。副局長なのにチーフなんですか、というもっともな質問をした局員はいずみが最初だった。
 外見からは二十代後半くらいに見えるが、実際の年齢は三十代後半。十四歳のいずみにしてみれば、三十歳や四十歳という十年以上の年齢差は変わりなく、どちらも同じく、おばさんおじさんと捉える年齢である。けれどチーフは仕草や話し方、それに見た目から、お姉さんと呼んでも違和感がなかった。
「おはようございます、チーフ」
 明るい笑顔で、いずみは挨拶を返す。チーフが郵便局へ来るのは、いつも開局十五分前である。彼女もいずみのように朝が苦手だということではなく、開局前に済ませなければならない仕事は、局長がいたころからずっと局員に任されていたので、そのまま慣習を引き継いたのだ。
 もっとも、いずみが開局前の業務を覚えるまでの一時期は、チーフも同じ時間に出勤していた。鴉が配達に出てしまうと、いずみに仕事を教える人間がいなくなってしまうからだ。その役をチーフが行なっていたのである。というのも当然といえば当然で、南郵便局で働いている局員は、鴉といずみ、それにチーフを加えた三人だけなのだ。鴉がいない時間帯は、必然的にチーフがいずみに仕事を教えていた。
 壁に掛けられた大きな時計が九時を示すと、局内に音楽が流れる。こうして、南町郵便局の一日が始まる。

 南町は、過疎の進んだとても小さな田舎町である。
 自然色豊かな、緑の多い町と言えば聞こえは良いが、中央と較べると生活水準は遥かに低い。中央の住民の中には、南町の存在を知らない者さえいるという。それも当然といえば当然で、南町が話題の俎上に載せられることは極端に少ないからだ。
 学校や病院、図書館といった大きな建物は数える程しかない。個人経営の店が点在するが、それらの規模は高が知れている。いくらか中央傘下の店舗もあるが、町の気風に合わせた小ぢんまりとした店が多い。
 中央や近隣の町に追い付け追い越せといった気概を持つ者は、この町にはほとんどいない。都会への憧れを持つ者は、大抵この町を出て中央なり他の町なりへ出ていってしまうので、残るのは現状の南町で構わないという者が大半を占める。それとは反対に、中央のような都会での生活に疲れた人間が、休息のために訪れ、南町で暮らし始めることもある。田舎町は田舎町で、きちんと機能しているのだ。
 いずみの働く郵便局は、そんな小さな町にある。
 南町の住民が、中央や近隣の町の住民と連絡を取るときに使われる手段は、手紙が大半であるといって良い。というのも、南町には未だ電話線の引かれていない地域が多く、電話もどの家屋にも置いてあるものではない。緊急のときにしか、電話は使わないという習慣が依然と残っていた。そのような町なので、電話線を介したコンピュータによる通信が行なえる場所は、町長の家や警察、病院といったごく一部の施設のみだった。そうなると、町の外との連絡手段は限られてくる。郵便か、宅配のどちらかである。
 郵便局の業務内容は他の町のそれと変わらない。中央の傘下である以上、手紙の配達配送、貯金の預かりや引き出し、為替の購入や換金など、基本的な業務内容は同じである。
 異なる点は、他の町のように頻繁に客が訪れることがない、ということだろう。南町の住民がもっとも多かった時期でも、局員が十人にも満たなかったことが、郵便局の仕事内容を物語っている。
 基本的に、南町の郵便局員が担当する地域は町の中だけである。集配と配達は午前と午後の二度。中央の配送車が南町郵便局へ来る時間に合わせた形である。そのとき、中央や他の町から南町宛ての郵便物を受け取り、反対に南町から中央や他の町宛ての郵便物が配送車に載せられ、中央の郵便局へと運ばれる。朝の受け取りと送り出しは、今のところ鴉が担当している。
 南町間の郵便であれば、一人で仕分けることも可能であるが、中央からの郵便は比較的多いので、作業は全員で行なう。午前に届いたものはその日のうちに、午後に届いたものは翌日の午前中までに届けるという体制である。ただし、速達だけは届いたときに確認し、すぐさま配達される。
 朝の集荷、速達の配達を終えると、鴉が局内に戻ってくる。窓口には常に一人が待機しており、それ以外の者が仕分け作業を行なう。もっとも、客の出入りは頻繁にないので仕分け作業は全員で行なうことが多い。それが終わると鴉は普通郵便の配達へと出掛けて、いずみは引き続き局内の業務を担当する。午後は分担が変わり、いずみが集配に出掛け、鴉が局内業務を行なっていた。
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ミズサワ
性別:
男性
職業:
求職中
自己紹介:
初めまして。ミズサワです。あの「失われた」90年代に、10代の総てを消費しました。

ミジンコライフ継続中。

ミズサワの3分1は「さだまさし氏の曲」で、3分の1は「御嶽山百草丸」で、残りの3分の1は「××××」で構成されています。

小説・コミック・アニメ・ゲーム・等、媒体に拘わらず、あらゆる物語を好みます。付き合いが長いのは「新本格」作品。卒業論文も「新本格」。論理性よりも、意外性を重視。

「すべての小説が館ミステリになればいい」

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